戦国武将きっての色男!直江兼続(なおえかねつぐ)

メンタル
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最近ではイケメン武将を取り扱ったアニメ漫画、ゲームが世に出ています。
魅力的な色男伝説がある人物と言えば、

  • 織田信長
  • 明智光秀
  • 井伊直政
  • 松永久秀 ,etc…

他にも色々な武将がたくさん居ます。

今回は自分の意志を貫き通した色男、直江兼続を紹介していきます。

イケメン戦国武将

直江兼続と言えば兜に「愛」の字が描かれた姿で、義に生きた武将としておなじみですが、実は彼は戦国でも指折りの色男だったのです。

日本戦国時代には数多くのイケメン武将が居ますが、今回は直江兼続に焦点を当てていきます。

直江兼続の人物像

まず直江兼続とはどんな人物だったのか。

・戦国時代では珍しい高身長
・当時並ぶものが居ないほどの美形
・上杉家に仕え、忠誠を誓う義将
・生涯を通して奥さん一筋

見た目は当時では群を抜いて良く、それでいて政治や外交に頭も切れていたそうです。
長い戦国時代でも相当なイケメンだったそうで、どれ程の物か見てみたいですね。

誰であろうと”義”を示す

誰にでも誠実さを守る直江兼続は、身分や権力に関係なく自分の義を貫く人物でした。
兼続の主君であった上杉景勝への忠誠はとても深く、揺るぎない物でした。

兼続はその実力を見込まれ、時の天下人である豊臣秀吉の引き抜きに会い、どんな褒美や好待遇の誘いをされても上杉景勝に忠誠を誓い続けたのです。

主君にだけでなく、兼続は自身の部下に対しても誠意を見せていました。
有名な関ケ原での戦いで敗れた後に、上杉家の領土は大幅に減ってしまいました。
そうなればこれまで通り家臣を雇い続ける事は難しいのが通常です。

ですが、兼続は誰一人として解雇せず、自分の給料を減らし、家臣の生活を守るために治水事業や水田を開発したり、荒れた町を整備や鉱山開発をして仕事を与えました。
結果は大成功で農業の発展により国は栄えました。国の為に民衆の為に、自分の給料を削ってまでも支えようとする男らしさは簡単に出来る事ではありませんね。

学問に長ける

兼続は幼い頃から学問に熱心でした。
5歳の時、後の主君・景昌の母、仙桃院に学問への興味を見込まれて、景昌の側近に決めたそうです。

側近として景昌に使えるようになり、あの上杉謙信に勉強を教わって、歴史に残る内政をしました。
戦国時代では学問は貴族くらいしか充分に習えなかったはずです。
その中でも熱心に学んだ兼続はさぞかしモテていた事でしょう。

大胆で物怖じしない性格

関ヶ原の戦いのきっかけとなったと言われる「直江状」。
これは豊臣秀吉が亡くなった後、上杉家は勢力が大きく脅威になるかもしれないと思った徳川家康が、上杉の家臣で石田三成と親しい事から、兼続に言いがかりを付けた事で送った書とされています。

内容としては、家康が「城の修理や橋を架けなおしたり、徳川に謀反を起こそうとしているんじゃないか?」と嫌疑をかけたのに対し、直江状にはそれを否定し、遠慮なしにド正論を書いた内容でした。

これに怒った家康が上杉討伐を始めたのが関ケ原での大戦でした。
このように、直江兼続は相手が誰であろうとズバッと物を言う人物だったのです。

直江兼続の誠実さ

彼は生涯を通して正室である「お船の方」ただ一人だけを愛していました。
男前であり、多くの女性を泣かせていたかと思われるかもしれませんが、実は側室を持たず不倫や浮気を一切しない誠実さがあったそうです。

そんな真面目な直江兼続は、女性だけでなく誰にでもその誠実さを発揮していました。
見た目に文句なしと評される直江兼続が、中身まで男前で更に株もあがりますね。

政治に尽力する

数々の伝説を残してきた直江兼続ですが、色男としては充分すぎる人物でした。
高身長と書きましたが具体的には、182cmだったそうです。

今の日本では平均身長が上がっていて、それほど珍しくは無くなってきていますが、当時の日本ではとても背が高かったんです。

それに加えて、子供の頃から美しい顔立ちであった事から推薦され、上杉家に入りました。
見た目で判断されると、なんだか嫌~な感じがしますが時代も時代で、見た目が良いと政治をする上でとても便利であった事実もあります。

もちろん、見た目だけじゃなく先述まででもあったように政治活動もしっかりこなしていました。
若くして上杉家の政治、外交における中心人物となり、上杉家に大きく貢献していたのです。

60歳の悔やまれた生涯

大胆な人生を送ってきた兼続も病に伏せって生涯を終えてしまいます。
1619年、体調不良であった兼次でしたが、将軍である徳川秀忠と共に京都に向かいます。

しかし無理がたたって1620年、江戸で息を引き取りました。
幼い頃からずっと忠誠を守り、義を通してきた主君・上杉景勝は兼続の死を大変悲しんだそうです。

長く付き従い苦楽を共にした上杉家への忠義は並大抵のことではなく、彼ほど強く硬い忠誠心を持っていた武将は多くは無いでしょう。

まとめ

  • 美形で高身長で才覚もある
  • 義理堅く、誰にでも誠実
  • 時に大胆に男らしい強さ

日本の歴史でも群を抜いて美しい武将であったと語られる直江兼続は、その美貌に恥じない努力と実績を残しました。
一風変わった色男でしたが、誰にでも分け隔てなく接する姿は、彼の内情が生み出した強さなのかもしれません。

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