皆さんはキングダムに登場する蒙武という武将についてご存知ですか?
武の体現者と言える存在の蒙武!!
親友の昌平君(しょうへいくん)からは武をもって策を破る人物と称していました。
蒙武はどんなに緻密な陣でも怯む事なく突進して最期には撃ち砕く!!
今回はそんな蒙武について見て欲しい内容になっております!!
蒙武の立場・足跡と親子の功績
ここからは蒙武がどのような勢力に所属し、どのようなことをしたのかを簡単に解説します!!
秦の政界最大派閥である呂氏四柱の一人

蒙武は優秀な人材を多く抱える呂不韋(りょふい)の中でも特に優れている人物であり、蔡沢(さいたく)・昌平君・李斯(りし)の3人を合わせて呂氏四柱と呼ばれています!!
この4人は各々得意分野がばらけており、外交は蔡沢・戦略は昌平君・法は李斯がといった風になっているのも特徴ですね!!
蒙武は武力をもって呂氏四柱の一翼を担っています!!
攻撃に特化した用兵で戦を行う
先程挙げたように蒙武の得意分野は武力をもって戦う事!!
そのため戦いの基本は自らが武力を用いて味方兵と共に相手を押しつぶすというものです。昌平君からは実力を認められつつもその猪突猛進ぶりを皮肉られているシーンも!!
趙軍との戦いにおいては、実戦にて先頭に立って軍を率いる猪突猛進さと万夫不当な武力を発揮しその裏では戦いながら練兵(兵を鍛える)する!!
といった姿を見せており単なる脳筋ではない事を証明していますね!!
自慢の武力で策を破る
蒙武は自身の武力に絶対の自信を持っており中華最強であることを証明することが目標!!
それ故に戦闘スタイルは策を用いるような小細工を嫌い、己の武力を中心に兵の士気を高めた力と勢い任せの戦闘を好んでいます!!
その戦い方のため、周囲からは猪突猛進な武将という評価を得ていますが、秦国軍総司令の昌平君は策を武で凌駕できる存在といわしめていますね!!
蒙家一族の構成とは?
父は白老将軍蒙驁(もうごう)息子に蒙恬(もうてん)と蒙毅(もうき)!!
息子である蒙武や孫達は、蒙驁譲りの巨躯を持ち、その怪力から繰り出される一撃であらゆる敵を吹き飛ばします。
息子の蒙恬は将軍となり蒙毅は軍師としても活躍し、蒙一族は秦の中でなくてはならない地位を占めています。
馬陽の戦いでの失敗
馬陽の戦いでは罠とわかりつつ蒙武は龐煖を追撃!!
そしてそのままを討ち取りましたがその龐煖は偽物で、追撃した蒙武軍の軍勢は千に減ります!!
その結果として、蒙武の軍勢は1万2千の趙荘軍に壊滅されそうになり、そのため王騎は蒙武を救うべく軍を動かします!!
王騎は伏兵が来る前に片付ける予定でしたが予想を遥かに超える素早さで伏兵が来てしまい結果的に王騎は討たれてしまいます。
王騎の死亡の遠因を作ってしまったのがこの戦いでの蒙武の失敗ですね!!
蒙武と汗明の一騎打ち

函谷関の戦い15日目に一騎打ちがはじまります!!
この時昌平君の助言による「斜陣がけ」という戦術を使って汗明軍本隊への道を作り出し、当初は蒙武を上回る体格の汗明が先の丸い鉄の錘で蒙武を打ち砕きます!!
が、蒙武はそれを受けて覚醒し、更なるパワーを引き出して汗明を圧倒していき最後には打ち砕く!!
二人の一騎打ちは凄まじく、汗明の飛び散った錘の破片が周囲の兵士に当たり、殺傷してしまうというくらい猛烈なパワーのぶつかり合い!!
中華最強クラスの汗明を一騎打ちで破ったことで、蒙武の評価は一気に高まりました!!
蒙武は生きている武将の中で1番強い可能性も?
このように言えるのは王騎は既に死亡し、廉頗もほぼ引退の状態!!
楚の巨人と言われる汗明を倒し、蒙武は中華で最強の地位に就いたと言えるでしょう!!
匹敵しうるのは龐煖ぐらいですが、龐煖は武将というより求道者なので実質的に武将の中では一番強い存在かと言えるのではないでしょうか?
まとめ
上記の内容をまとめますと
- 蒙武は秦の最大派閥である呂不韋(りょふい)の配下で呂氏四柱の一人
- 攻撃に特化した用兵で戦を行いつつその中で兵を鍛える
- 蒙武をはじめとする蒙一族は親子三代に渡って将軍や軍事として活躍
- 馬陽の戦いは王騎の死亡の遠因を作ってしまう失敗をしてしまう
- 函谷関の戦いにて中華最強クラスの汗明を一騎打ちで破り評価が一気に高まる
- 汗明を倒し実質的に武将の中では一番強い存在である可能性が高い
といった内容になります。
武力があって自身の配下を鍛えることも怠らない蒙武は現在のビジネスマンに例えることもできますね!!
ぱっと出てくるイメージとしては「現場主義の上司」といった印象を私は持ちました。
皆さんはどんなイメージが沸きましたか!!
今回は以上となります。
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