【キングダム】蒙恬(もうてん)の本当は悲しくて切ない史実

メンタル
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漫画【キングダム】に信・王賁のライバルとして登場した蒙恬。

作中ではイケメンでありながら恵まれた才能を持ち軍才を遺憾なく発揮して結果を残しています。

そんな蒙恬のプロフィールから残酷で悲しい最期までを紹介していきたいと思います。

蒙恬は武にも知にも長けた武将

作者 秦 泰久

蒙恬(もうてん)は秦国の名家「蒙家」の跡取りとして生まれ、祖父「蒙驁」と父「蒙武」は共に秦国の大将軍です。そして弟の「蒙毅」は軍略家として天賦の才の持ち主です。

蒙恬の性格は、親しみやすく、柔らかい性格の持ち主でそして美形の男前です。現代の言葉でいうと「チャラい」が似合う人物ですが実は武にも知にも長けていて大事な場面で見せる「漢の一面」とのギャップがとても魅力的です。

そして蒙恬は信や王賁と同世代のライバルで、何かとぶつかり合う信と王賁の間を取り持つ立ち位置にいます。2人よりも早く千人将に上がりますが蒙豪の指示で三百人隊として修業をしている場面もありました。

のちに三百人将から二千人将、五千人将と昇格していきます。戦で大将の首を取るような武功を上げることはそれほどないのですが、持ち前の頭脳を活かして戦況を変えるような働きをします。

武将としては楽華隊を率いており、戦場では先陣を突っ切り自分の背中を味方に見せて兵の士気を上げるなど普段の雰囲気とは違う一面もあります。大将軍の血を受け継いでいることも納得できます。

戦場では冷静沈着な策士

蒙恬の特徴として目立つものではないが重大なことをやってのけている印象を持ちます。いわば縁の下の力持ち的な感じです。

魏軍との戦

作者 秦 泰久

この時始めて楽華隊、飛信隊、玉鳳隊が同じ戦に参加し、廉頗との戦いで飛信隊、玉鳳隊は敵の玄峰と輪虎に一度破れました。

ここで蒙恬は信、王賁を集め3人で輪虎を討つ作戦を立てます。信と王賁はお互いをライバル視している為、蒙恬のこの行動は二人の緩衝材の役割となっていました。

その作戦とは楽華隊が輪虎兵の兵力を落とし、その間に飛信隊、玉鳳隊の2隊が輪虎を討つという作戦でした。兵力でいうと楽華隊は千人以下、輪虎兵は約五千人いて自らの楽華隊が大きなダメージを受けるのは確実です。

しかも同世代のライバルたちに将軍の首を譲る形になります自らがつぶれ役を買うことで二人を協力させ国を勝利させようとしていますので、蒙恬が自分一人の為でなく国のために戦える人物であるという事がわかります。

合従軍での戦績

作者 秦 泰久

合従軍との戦いの時には騰と蒙武のもとで活躍し、ここで王翦から臨時ではありますが将軍の位をもらい左翼の全権限与えられました。

楚の第一軍・臨武君との戦闘の際に鱗坊を討ち取った楚の弓使い白麗の危険度をすぐさま感じ取りすぐさま白麗を討ちに向かいます。白麗への奇襲は成功しますが敵の項翼に行く手を阻まれてしまい落馬してしまいます。

馬を失い劣勢になってしまった蒙恬でしたが王賁の登場により助かります。蒙恬が白麗を討っていなかったら秦国軍にはもっと多くの犠牲が出ていたと思います

皆を支える影の立役者

作者 秦 泰久

作中で初めての登場は三百人将の一人として出てきていますが、史実に書かれている戦場初登場は信のモデルになったと言われている李信が楚を攻めるときに副将として参戦した時です。この時、趙・韓・魏は滅ぼされていて残っているのは楚・燕・斉の三国だけでした。

この時の戦は失敗に終わりますがその後将軍に任命され、信・王賁とともに斉国を降伏させます。作中では同世代とされている信・王賁・蒙恬ですが史実では蒙恬がかなり遅れて将軍になったようです。

また蒙恬は法律を学んでおり元は裁判に関わる仕事、いわゆる文官をしていました。そして文官としての蒙恬は中華統一後に万里の長城建築を任されていると書かれていますので文官としての才もかなりの物だったと思います。

最後は権力争いに巻き込まれこの世を去る

史実では将軍となって秦国に数々の功績を残した蒙恬ですが、蒙恬の最後はとても悲しいものでした。

中華統一後蒙恬は始皇帝の命によって万里の長城を建設していました。その時始皇帝が巡業中に死亡してしまいます。遺書には扶蘇あての文書が書かれており始皇帝の死を知った扶蘇が帰ってきて遺書を見れば扶蘇が二世皇帝に、そして他の兄弟には土地を与えないという内容でした。

始皇帝の末っ子胡亥、宰相の李斬、そして始皇帝お気に入りの一人趙高の三人は始皇帝の死を隠し始皇帝の遺書を偽装してしまいます。偽装された遺書の内容は扶蘇と蒙恬に自害を命ずるというものでした。

扶蘇は始皇帝の長男で5年前に蒙恬のいる国境付近に左遷されており左遷された理由は父である始皇帝が行った政策に意見したため、怒りを買って左遷されたというのが一番有力な説になっています。

自害を命ぜられた二人でしたが蒙恬はこの遺書を怪しみ自害しませんが、扶蘇は遺書の内容を受け入れ自害してしまいます。

扶蘇の死んだ後も蒙恬は自害を拒み続けますが、胡亥が二世皇帝になると改めて自害の命が下り、勅命ならばと自害を受け入れてついに蒙恬はこの世を去ってしまいます。

作者 秦 泰久

これが史実に記されている蒙恬の最後になります。その後弟の蒙毅も趙高によって殺されてしまい蒙家の血筋は途絶えてしまいます。

権力者だけが残ってしまった秦国のその後は楚の項燕の孫項羽によって滅ぼされてしまうので有能な武将蒙恬の死が秦国滅亡を速めたのはあながち間違えではないかもしれません。

まとめ

信と王賁のライバル蒙恬について紹介していきました。

  • 蒙恬は武にも知にも長けた武将である
  • 戦場では冷静沈着な頼りになる漢である
  • 大きな武功を上げてはいないが皆を支える縁の下の力持ち
  • 最後は権力争いに巻き込まれこの世を去る

武将としても文官としても有能だった蒙恬を自害に追い込んだ胡亥。この時すでに信や王賁は亡くなっていたとされているので、もし生きていたら蒙恬はまだ死ななかったかもしれませんね。

史実と見比べてみてもイケメンだったという証拠がなかったことが少し残念でしたが、今後のキングダムではどこまで史実に沿って描かれていくのか楽しみです。

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