【キングダム】漫画と史実との違いが面白い!キャラクター5選

メンタル
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日本で爆発的人気を誇るキングダム。
実は中国でも人気があるのです。

その理由が中華の歴史をしっかりと詳しく調べ上げて史実に基づいて描かれた漫画だからです。

つまり漫画として脚色した部分もあるのですが、ちゃんと実在したキャラクターが存在するのです。

今回は実在したキングダムのキャラクターの史実と漫画での違いをお話しします。

今記事ではキングダム読み始めの方にもわかるように序盤メインキャラを5人紹介します。

信(しん)

出典:https://comic-kingdom.jp/kingdom-shin/

戦争孤児の少年で幼馴染の漂と毎日剣術の仕合をしながら育ちました。

性格は熱くまっすぐ芯を持つ少年。
夢は天下の大将軍で漂との想いと共に戦場を戦い抜いています。

武力は非常に優れているのですが、知力が劣る面があり、誰にでもため口で話すほどです。

史実での武将『李信』(りしん)

信のモデルとなった人物は「李信」という武将です。
しかし史実の数がかなり少ないため、王翦列伝などからどういう人物であったのかを読み解くより方法はないのです。

紀元前229年~228年

記録に残っているのは紀元前229年から228年、趙の王都邯鄲に秦の王翦が攻めている時なので、漫画と比べるとかなり遅めの登場になります。しかもこの時、李信は趙の太原・雲中に出征していました。

この時、王都邯鄲を攻めたのは王翦・楊端和・羌瘣でした。キングダムでもお馴染みの楊端和、羌瘣は李信よりも早くに将軍になったのではないかと言われています。

1,000人の兵を率いる

燕の太子丹が主導した秦王政の暗殺未遂事件

その報復として王翦王賁は、燕都・薊を攻略しますが、暗殺の首謀者の燕王喜と太子丹に逃げられてしまいます。
この際、李信は、約1000の兵を率いて燕軍を追撃し、太子丹を討ち取ったのです。

総大将への任命

李信の活躍を認めた秦王は楚を攻略するにはどれ程の兵力が必要か信に尋ねます。

王翦が「60万必要」と答えたのに対し、信は「20万必要」と答えたのです。

政はこの案を採用し、信を楚攻略の総大将に任命します。
李信は隊を2つに分け、蒙恬と共に楚に進軍しますが結果は7人の武将を失う大敗でした。

その翌年、秦王の頼みで、王翦蒙武とともに楚を落とします。

大敗した政ですが、秦王政からは特にお咎めはなかったとされていることからかなり重宝されていた将軍であることが分かります。

李信の最後の記述などは無いのでどのようにして亡くなったのかは不明のままです。

政(せい)

出典:https://xn--nckg2c6gud7252a9v8at3u.com/?p=79

幼少期に敵国で育ちました。趙では、痛覚や味覚などが無くなってしまうほどひどい仕打ちを受けていました。

その後、秦国に帰国する際に出会った紫夏と出会い、人を信じるという気持ちや感覚などを取り戻します。
幼少期の壮絶な経験から、常に「王とはなにか」を考え続けたことがきっかけで中華統一を目指すことになります。

性格は常に冷静で知力武力ともに優れています。
また、仲間想いの一面もあることから、頼りがいのある優しい王であることが分かります。

史実では暴君秦王

史実での秦王政は非常に横暴な王であったとされています。
自分の意見に逆らう者はたとえ優秀な家臣であっても即処刑していたそうです。
漫画の政とは大違いです。漫画の信のようにため口をきいたら即処刑でしょう。

敗戦した将も問答無用で処刑しており桓騎は敗北した際、処刑を恐れに逃亡するほどでした。
そのため、李信にはお咎めがなかったことから重宝していたことがわかります。

中華統一後は戦争疲れしている民に過酷な労働を強いたことで知られており、万里の長城での重労働では死者が出るほどでした。

わずか15年の天下

秦が天下統一をしてからも重税過酷な労働によって民の不満は爆発寸前でした。

始皇帝政が死去した翌年、陳勝・呉広の乱が起きました。
反乱は全国に飛び火し、台頭してきた項羽と劉邦によって秦は滅亡しました。

秦が中華統一を成しえた期間はわずか15年だったのです。

楊端和(ようたんわ)

出典:https://xn--w8jtkjf8c570x.com/?p=44813

成蟜の反乱において、政の見方をした山の民の王

知力武力共に優れており、永く争っていた山の部族を統一した人物。
死に飢えた死王という異名を持っています。
美しい女性の容姿をしており、部下からの信頼も厚いです。

史実では平地の男将

実際の楊端和は残念ですがです。
さらに、山の民ではなく、平地の将でした。

楊端和も残っている記録が少ないため、どんな武将であったかはあまりよくわかっていません。

残っている記録

・紀元前238年(始皇9年)、魏の衍氏を攻めた。
・紀元前236年(始皇11年)、王翦・桓齮とともに趙の鄴を攻めた。
・紀元前229年(始皇18年)、河内の兵を率いて趙の首都である邯鄲を囲む。翌年、王翦と羌瘣が趙を平定した。

出典楊端和 – Wikipedia

以上の戦のあと、楊端和の消息は分からなくっているのです。
山にこもったのかもしれませんね(笑)

王騎(おうき)将軍

出典:https://xn--w8jtkjf8c570x.com/?p=54855

秦国六大将軍のひとりで、「秦の怪鳥」の異名を持つ。

戦場では前線で戦える強さを持ち、さらに将として戦略を練ることにも長けている最強の将軍です。

余裕のある話し方が特徴で、信を小ばかにするような発言が多く親しみを持ちやすいキャラクターです。

戦場でのカリスマ性はさすがのもので、王騎将軍が騎馬で闊歩するだけで歩兵の士気が高まるほどなのです。

史実には2人存在した!?

王騎将軍についても残っている記述が少なすぎますが、今学者たちの間で議論されているのが、『王齕(おうこつ)と王齮(おうき)は同一人物』だという説です。

王齕の記録は紀元前260年頃を境に始まりますが、王齮が登場してからはぷっつりと途絶えてしまうのです。
また、読み方もどことなく似ている気もしますよね。

しかし真偽のほどは解明していません。

そのためキングダムでは王齕+王齮=王騎将軍となったのではないでしょうか。

王齕(おうこつ)の記録

・紀元前260年、長平の戦い
趙に対して秦は密かに白起を増援させて将軍とし、王齕をその副将とした戦で勝利し功績をあげました。
40万の兵穴埋めにするなど残虐性があったようです。

・紀元前258年
長平の戦いで趙をボコボコに追い込んだは勢いを増し、王陵(おうりょう)が趙の王都である邯鄲包囲します。
しかし趙も邯鄲を落とされるわけにはいかないので必死の抵抗をします。
戦況がかんばしくなかったため、王齕が代わってとなります。
その後一年以上もの戦いの中でも邯鄲は落とせず、仕方なく諦めて汾城郊外の秦軍と合流します。

・紀元前257年
秦軍と合流し、魏を攻め6千名の魏兵を斬首、さらには2万の魏兵が敗走し黄河に飛び込み溺死しました。
しっかりと汾城も攻め落とします。

王齮(おうき)の記録

王齮についてわかっていることを箇条書きにすると、

・紀元前257年
趙の邯鄲を包囲

・紀元前247年
韓の上党を攻める
趙の王都邯鄲を攻めてから10年後の出来事ですが、この間に何をしていたのかは不明のままです。

・紀元前246年
秦王政が即位すると蒙驁・麃公と共に将軍に任じられる

・紀元前244年
蒙驁が韓を攻め十三城を取るも同年に死没
始皇帝が即位してから3年後の紀元前244年に亡くなります。
この年の秦は疫病や飢饉が起こったとされており、その影響で亡くなったと考えられています。戦で敗死したとかではないようです。

王齕と前半部分が一致していることからも同一人物の可能性はあります。
そのため、二人を混ぜて王騎将軍となったのでしょう。

羌瘣(きょうかい)

出典:https://googooyt.com/402.html

信が初めて戦場に出兵した時の伍のチームメイトで後の飛信隊の副官になります。

性格は物静かであまり多くを語らない印象があり、初登場シーンでは完全に無口キャラでした。
戦では知力で危機を乗り切り、武力で道を切り開く姿から周囲の兵たち頼りにされています。

女性であり幻の刺客一族・蚩尤(しゆう)の名を受け継ぐ剣士です。
武の道一本というストイック人生を歩んできました。

史実での羌瘣

羌瘣は史実でも実在していました。
しかし、記述が2行でしか書かれていないため、ほとんど脚色と言えます。

性別も男だったのではという意見もありますが、どこにも記載がないため不明のままです。

わずか2行の記録

・紀元前229年に王翦(おうせん)、楊端和(ようたんわ)と一緒に趙の国を攻めた。
・紀元前228年に、王翦と共に趙王である幽繆王(ゆうぼくおう)を東陽(とうよう)で捕らえ、趙を滅ぼした。さらに、兵を率いて燕を攻めようと中山に駐屯した。

出典:ウィキペディア(秦始皇本紀第六より)

残っている記録は少ないながらも、名のある武将と共に戦場で功績を挙げ名指しで記録が残っていることなどから当時は名武将であったと推察されます。

しかし、いつどのようにして亡くなるのかなども一切が不明のままなのです。

まとめ

・信
李信という武将がモデル
秦王政に非常に重宝されていた

・政
中華統一を成しとげ始皇帝と名乗る
漫画とは違い、非常に残忍な性格であったとされています。

・楊端和
実際は男であり、平地の武将です。
記述が少なく、趙の王都を包囲した後は行方不明です。

・王騎将軍
実在する二人の武将がモデルとされています。

・羌瘣
記録が2行しかないのですが、名のある武将と共に名指しで残っていることからかなり名のある武将であったと推察されます。

史実に基づいた話が多く、キャラクターも史実から引用しているものが多いキングダム。
しかし、記述が少ないキャラクターは脚色されていたりとほぼオリジナルキャラクターも多いです。

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