【キングダム】実話から予測する壮絶な最後3選!!

メンタル
アニメ『キングダム』より引用
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大人気連載漫画の『キングダム』は歴史漫画であるということはご存じでしょうか?そもそも、キングダムって漫画だけの話だから事実ではないのではないかと思う方も多いのではないでしょうか?

実は、キングダムは史実に基づいて書かれているため大筋は本当です。

しかし、中国古代の文献はほとんど残っていないため、脚色が施されているのも事実ですね。

そんな中でキングダムの主要キャラクターで壮絶な最後を遂げる3人の人物を実話をもとに紹介していきたいと思います。

まさかの最後!?秦国の最大の敵の最後

『キングダム』45巻より引用

壮絶な最期を遂げる人物1人目は、李牧です。

キングダムでは王騎を策略にはめて倒し、合従軍を指揮して秦にとっては最大の敵である人物ですね。

そんな李牧は良くも悪くも、悲しい最期でした。

北方の守備を固めていた李牧

李牧は北の脅威であった匈奴との国境警備の長官をしていました。ここで李牧は匈奴相手に独自の戦略と軍制を用い、強固な守備に徹しました。ただ守備を固めだけではありません。

李牧は間者を利用して情報戦を制し、匈奴の攻撃に対して城外へ迎撃した者がいれば、斬首するほど規律を徹底させました。

そうすることで、匈奴は趙を攻略することができず、李牧を恐れるようになっていきました。匈奴からは恐れられる存在となりますが、趙軍からは臆病だと非難されるようになってきます。

趙王の孝成王は、攻めない李牧に対してしびれを切らし、匈奴を攻めて対決させるように命令します。そこで李牧は、国を第一と考え、自分の考えを徹底し王様の命令を無視します。

この対応に怒った孝成王は李牧の任を解き、後任を勝手に用意してしまいました。

李牧のやり方を王や国に認めさせる

李牧の後任者は匈奴に攻めていきますが、戦いに長けていた匈奴は簡単に趙軍を蹴散らし、趙に侵攻してくるようになります。そこで孝成王は李牧を再度長官に任命しますが、李牧は嘘の病気と称して断ってしまいます

困った孝成王は李牧を将軍にした上で、以前のやり方に許可を出して、李牧に復帰してもらいます。

復帰した李牧は、わざと小規模の匈奴軍に負けて、趙軍は弱いという印象を擦り付けます。そして趙を侮って大軍で攻めてきたときに、伏兵を用意し10万人以上の匈奴兵を挟撃し撃退しました

これをきっかけに匈奴は趙を侵攻することがなくなり、李牧の名前は趙国内に広まっていきました。

秦の中華統一への最大の障壁李牧

キングダムでは、李牧が春申君と二人で合従軍を指揮しますが、史実では龐煖(ほうけん)が指揮をとっていることになっています。

それではどのように李牧は秦の脅威となるのでしょうか?

紀元前236に幽繆王が即位すると李牧は大将軍に任命されます。そこで秦と直接対決します。

李牧は秦の桓騎を相手に勝利し、敗走させます。また翌年の秦の進軍に対しても勝利をして奪われた領地を奪い返します。

キングダムでも強敵として存在した李牧ですが、史実でも秦を悩ませていた武将だったのではないでしょうか?

国家の命運をかけた?李牧の最期

守備の名人として知られ、北の脅威である匈奴や後の中華統一を果たす秦に大勝した李牧ですが、悲惨な最後でした。

敵に負けて殺されるのではなく、まさかの

趙王に処刑されてしまうのです。

なぜこのようなことになってしまうのか?

これに解答すると、秦の王翦が大きく関わってくるのです。趙の王都、邯鄲を攻略するために秦は王翦、楊端和、羌瘣(きょうかい)の連合軍を派遣します。しかし、李牧、司馬尚が率いる王都邯鄲を攻め落とすのは簡単ではありませんでした。

そこで、王翦は趙の家臣である郭開を取り込み、李牧と司馬尚が謀反を企てていると趙王に伝えさせました

趙王は郭開の言葉を信じてしまい、李牧と司馬尚を更迭するように命じますが、李牧は国家の存亡をかけた戦いの最中であったため、王命を拒否しました。そして、王命を逆らったとして李牧は捕らえられ処刑されるのです。

その結果、李牧を失った趙は翌年には簡単に邯鄲を攻め落とされて滅亡してしまうのです。

今までの人生が水の泡!?昌平君

『キングダム』31巻より引用

壮絶な最期を遂げる人物2人目は、昌平君です。

キングダムで呂氏四柱の一人であり、文官の最高峰の丞相の地位でもあります。秦王政にとっても重要な一人であることは間違いない人物です。

そんな昌平君はどのような最期だったのでしょうか?

昌平君の活躍

昌平君はキングダムとほとんど変わらない経歴を辿っています。

楚の考烈王の公子として生まれてきました。そのため、楚の王族でありながら、育ちは秦という異色の経歴の持ち主なのです。

史実では昌平君は戦いの活躍はほとんど記録に残ってはいませんが、嫪毐(ろうあい)の乱の後に右丞相に任命されています。

したがって、文官として優れた人物であったことは疑う余地はありません。

昌平君は紀元前226年に祖国である楚に帰還します。

今までの秦での活躍とは?昌平君の最期

若くして人質として秦に行き、秦で才能を発揮して丞相(文官の最高の役職)にまで出世する昌平君はどのような最期を迎えたのでしょうか?

昌平君は秦に戻ることなく、自分の国の楚でなくなるのです。しかも最後は、王翦・蒙武の率いる秦軍によって殺されてしまうのです。

今まで一緒に戦ってきた王翦・蒙武となぜ戦うの?といった疑問を持つかもしれません。

これに解答すると、紀元前223年に楚王負芻が秦に捕らえられしまうと、楚の滅亡を回避しようと将軍項燕によって、昌平君は楚王に立てられ、秦に背きました。その結果、中華統一を果たすべく、秦は楚に王翦・蒙武と当時の最強ともいえる人たちを送って、楚を滅亡させ、昌平君の人生の幕を閉じました。

王翦・蒙武を昌平君に対して派遣するということは秦にとって昌平君とは味方として心強く、敵として非常に脅威に感じる人物だったのではないでしょうか?

史実驚きの最後!?大活躍の蒙一族の行く末は?蒙恬

『キングダム』49巻より引用

壮絶な最期を遂げる人物3人目は、蒙恬です。

蒙恬は楽華隊を率いて、チャラチャラしているけど頭はすごく切れるという印象があるのではないでしょうか?

蒙恬はまさにそのような人物で武将以外にも様々なことで始皇帝に信頼されます。ではどのような最期だったのでしょうか?

蒙恬の武将としての活躍(中華統一・北伐遠征)

蒙恬は李信、王賁と共に中華統一最後の国である斉を侵攻し降伏させます。これにより、秦の中華統一が果たされます。その後中華統一を果たすと始皇帝は、蒙恬に北の脅威である匈奴を攻めさせます。

蒙恬は30万の軍勢を率いて、匈奴に大勝します。それにより、匈奴は蒙恬を恐れ、北に移ることになります。

北伐の成功により、秦は外の脅威を取り除きつつ、黄河の南(現在の内モンゴル)を手に入れます。

蒙恬の文官としての活躍(毛筆の開発・万里の長城建設)

蒙恬が毛筆を開発したという説もあります。

蒙恬は北伐をした際に、北方にいた動物たちの毛を取りまとめて、筆を作ったと言われています。それを始皇帝に献上したことが毛筆の始まりで、始皇帝が使いやすいと感じたのか、普及していくようになりました。

また、蒙恬は戦国時代の長城をつなげて、万里の長城を作っていきます。これは北方民族の脅威から守るために始皇帝が蒙恬に命じたものでした。

それに加えて始皇帝は中華統一して民を治めることや、不老不死を手に入れるために巡幸を5回にわたって行いました。その際に、甘泉宮(秦の離宮)から九原郡までを直行出来る道を蒙恬に作らせています。

結果的に、この道は完成しませんでしたが、始皇帝の様々な土木事業には蒙恬が関わってきているのです。

北伐や土木事業の功績から、蒙家が始皇帝によって重宝されるようになります。

蒙恬の弟、蒙毅は内政で活躍をしてより蒙家が安泰になったかのように見えました。

蒙毅は始皇帝が寵愛している趙高が罪を犯した時に、死罪にしようとしたため、趙高の恨みを買ってしまいました

この出来事が

蒙家の命運に大きく関わっていたのです。

策略による蒙恬の最期

始皇帝の死後、蒙家の立ち位置が大きく変わってしまいます。趙高が始皇帝の遺言と偽り、手紙で扶蘇と蒙恬に自害を申し付けます。そこで、扶蘇に対して蒙恬は何かの間違えだと諫めましたが、扶蘇は父の言葉を守り、自害してしまいます。

怪しいと思った蒙恬は、始皇帝に「沙汰」を出しました。

しかし、始皇帝は没していたため、蒙恬の思いは届くはずもなく、蒙恬と蒙毅は牢獄に入れられてしまいました。

趙高の恨みを買っていた蒙毅は罪に問われ処刑されてしまいます。蒙毅の罪は兄の蒙恬まで及ぶと言われ取り調べをされました。

そこで、蒙恬は今まで30万の軍を率いていながらも謀反をしなかったのは、秦に恩を感じているためだと使者に告げたが、使者は胡亥と趙高の意図を知っていたため、死を迫るだけでした。

こうして、蒙恬の想いもむなしく、自刃して生涯に幕を閉じました

まとめ

キングダムの李牧、昌平君、蒙恬の史実の内容を踏まえて説明してきました。

  • 李牧は合従軍を率いているという記述はないが、秦の最大の障壁となり、最後は趙王によって処刑されてしまう
  • 昌平君は楚の公子として生まるが、秦で育ち最高官の丞相まで出世します。最後は楚王として王翦・蒙武によって倒される
  • 蒙恬は武の面では中華統一・北伐に貢献して、文の面では毛筆の開発、万里の長城建設をしてきました。始皇帝の死後、趙高の策略によって、蒙家の滅亡とともに幕を閉じる

この三者の死には、国が滅んでいるという共通点があります。李牧の死後趙が、昌平君の死後楚が、蒙恬の死後中華統一を果たした秦が滅亡します。

また中国古代は現存する史実が少ないこともあってキングダムは脚色が施されていますが、キングダムの内容と合致している部分は多く、原先生は史実を基づいて書いているのではないかと思います。

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